石川竜奮闘記

ゴルフ日本シリーズJTカップ

シリーズ

第1章

 この年はマスターズ・トーナメントに向けて初めてと言っていいほど私は充実した気持ちで臨んでいた。

 この年、既に1勝をあげ、オーガスタナショナル(マスターズの行われるゴルフコース)における練習ラウンドでも球は思うように操れていたし、パッティングのタッチはすぐにオーガスタナショナルのグリーンに適合した。一週間の休養を挟んで、体調にも何の不安もなかった。トーナメント初日のスタートは3アンダー、10位タイ。パットのミスは2回、アプローチのミスは1回であったが、ショットの安定が私を落ち着かせて、小さなミスを引きずることなく18ホールを回り終えた。

 私はプロゴルファー石川竜。マスターズは5度目の出場で、過去4回のうち3回予選落ちを喫しているが、決して苦手な試合ではない。いや、苦手ではないと自らに言い聞かせているだけなのかもしれない。いずれにしても私はこの試合が大好きで、極論すればマスターズで優勝することだけを夢見て幼い頃から、そして20歳を過ぎた今でも球を打ち続けている。

 私は15歳でプロゴルファーになり、既に10勝をあげ米国でも1勝をあげることができた。プロゴルファーにとって優勝は最大にして唯一の目標である。日本ツアーの場合、ツアー選手と呼ばれるプロゴルファーは200名余り。年間の試合数は25試合前後で、中には年間に複数回優勝する選手もいるので、1年間を終えて優勝者は20名に満たない。計算上一人の選手が勝つ可能性は10年に一度ということになる。それほど優勝とは稀で尊いものであるということは分かっているが、私にとってはマスターズ以外の試合の優勝を何度重ねても、夢に見るマスターズの1勝には及ばないものである。

 私の今日のスコア3アンダーは、18ホールで4つのバーディ、1つのボギー、13個のパーの試合である。初日を終わってトップは7アンダーのマキロイ。一日だけなら私は負けたことになるが、ゴルフは4日間72ホールの戦いである。そう考えられるようになってきたのはここ1年間くらいの間である。以前は虎穴に入って虎の子を獲えていたゴルフだったが、今は計画的に餌をまいて危険を冒すことなく、しかも確実に獲物を手にできる様になってきた。初日からエンジン全開でスタートしなければ不安だった以前に比べて、4日間が終わるまでに何度もチャンスがあると考えられる様になってきた。精神的にも充実が感じられるのはそのせいかもしれない。いずれにしても、考え方を変えたからゴルフが良くなった訳ではない。ゴルフが良くなってきて考え方が変わったのだ。それは練習以外に要因はない。

 トーナメント2日目の朝。たっぷりの睡眠で体力の充実は維持され、10位という順位が精神を更に充実させていた。昨日は8時20分スタートであったが、今日は12時20分。予選の2日間は午前午後の時間を公平に割り当てて組合せされる。早速インターネットでマスターズの記事を読んでみる。トップのマキロイは
「優勝にむけて最高のスタートを切った」
と語っている。私については
「日本人の石川竜がマスターズで好スタート」
とだけ書いてあった。日本のスポーツ紙の速報版を見ると、私の記事がマキロイより大きく取り上げてあった。いずれの紙も同じ内容で、昨日私が囲み取材を受けた時に言った言葉なので読む必要もなかった。ところが誌面の隅に小さな記事が目に入った。

『新日本クラブ倒産』

読んでみると、ゴルフ場運営会社の新日本クラブは多数の会員から預託金の返還請求を受け、応じる事が不可能であり自己破産に至ったと書いてある。預託金制度に支えられてきた日本のゴルフ場であったが、その返還ができなければ自己破産の道へ進む。今まで何百というコースがその運命を辿っていて、別に珍しい訳ではないが、私にとっては新日本クラブの御殿場コースは思い出深い。トーナメントの御殿場マスターズが開催され、私は2度優勝している。そんな個人的感情を除いても、日本一のゴルフコースだと言う人は多い。御殿場コースは順調に運営されていたはずだが、全16コースを所有する新日本クラブは、経営的に行き詰まっていたのだろう。新日本クラブが倒産したと言って、そのゴルフ場が消滅する訳ではない。今まで何百というコースが辿った運命は、預託金という債権をカットして別会社に売却され、再びゴルフコースとして営業を再開する。債権者(ゴルフ場の会員)が泣いて丸く治まるのである。

 そんな事を考えながら、バルコニーで朝食をとった。私の宿舎はオーガスタナショナルゴルフコースから10km程度離れたウェストレイクという街のコミュニティの中にある。このコミュニティにはゴルフ場の他にテニスコート、体育館があって、家の持ち主はほとんどがメンバー会員になっている。マスターズに出場する多くの選手がこのウェストレイクに泊まっている。家を1週間借りるのである。私の宿舎は私の父が4年前に購入したもので、この時期だけ私たちは利用する訳だが、1年を通して賃貸しているらしい。だからこの家にはゴルフセットが幾つか置いてあって、いつでも父達はウェストレイクのゴルフコースでプレーができる。他に自転車や釣り道具、野球セット、テニスセット等の遊び道具もそろえてある。父が購入した一番の理由は、家の中でタバコが吸えるということ。借りた家は必ずといっていいくらい禁煙だ。日本ほどタバコを吸う国は少ないと思う。アメリカでは禁煙は当たり前のマナーなのだ。

 バルコニーに陽が差し、小鳥のさえずりが庭に響く。満開のつつじが朝日に輝く。朝食を済ませて9時が過ぎていた。その日の試合は既に始まっていて、中継を見る為にテレビをつけた。タイガーウッズ、ダレンクラークがテレビに映ると忘れかけていた新日本クラブを思い出した。彼らも日本に来て新日本クラブ御殿場コースでプレーしたことがあるからだ。10時には宿を出発する。もう少し気持ちを高めたかったが、別の一件を思い出すこととなった。1ヶ月前、日本をたつ時に受け取った1本の電話である。それは奈良ゴルフクラブの理事長 三田伸介からのものであった。
「大変困っている。竜君の力を借りたい。マスターズが終わったら連絡してくれ」
という内容であった。名門ゴルフクラブの理事長が私に助けを求めている。それでもマスターズが終わるまでは考えまいと忘れていたが、ひょっこりと思い出した。そしてすぐに頭から消えた。

 私は集中力を高め、維持し2日目のプレーを終えた。思う様にパットが決まらず、スコアを大きく伸ばすことは出来なかったが、その日を1アンダー、トータル4アンダー、12位タイの位置に止まることができた。相変わらずショットは好調を維持できていた。あとパットが決まりはじめれば大きなスコアを出し優勝争いに加わることも可能である。私はラウンド後の練習の時間の多くをショット練習に当てた。パットが決め手になるのは分かっていたが、パットの修正よりも今のショットの好調を維持したかった。陽が落ちる迄2時間程球を打ち込んだ。そして最後にパッティンググリーンに寄って気休め程度にパットの練習をした。パッティンググリーンには数名のプレーヤーが練習を続けていたが、その中の一人、スペイン人のガルシアが声をかけてきた。
「新日本クラブが潰れるなんて、ここ(オーガスタナショナル)が潰れるようなものだ。あのコースは本当に素晴らしいコースだ」
という内容の話しであった。帰りがけに他の選手からも同じ事を言われた。世界の一流プレーヤーの多くが認めている日本一のコースなのだ。私は話しかけられる全員の選手に対し、コースを褒めてくれたお礼を言い、そして今まで通りトーナメントコースとして運営されるはずだ、と付け加えた。

 私は世界各地でプレーをした経験は多くはないが、海外のトーナメントコースと比べると日本のコースはハザード(池やバンカー)が甘いと言えるし、最も違う点はトーナメント用として作られていないところだ。預託金を集めてコースを作り、接待を中心に利用されてきた。やさしいコースが良いコースになる仕掛けである。その点、新日本クラブの御殿場コースはトーナメント用に設計されてコースが美しく存在する。2万人のギャラリーが入った景色は日本のオーガスタナショナルと呼んで相応しいステージである。

 3日目も4日目(最終日)もその話しが選手の話題では多かった。もっとも日本人の私との会話だからであって、日本人相手でなければそれ程の話題性はない。彼らにとって日本は旨い物を食べられる国であって、ゴルフをプレーするのにはそれほど適していると思ってはいないようだ。

 この年のマスターズが終わった。私の成績はトータルで5アンダー。順位は12位であった。良かったとは思わないが、悪くなかったことは間違いない。過去最高の成績を出すことができたのだから。今後10年以上挑戦することになる。そして優勝の為には多くの練習と少々の運が必要なことも解っている。
「近い将来、優勝争いができる気がします」
私は成田空港の会見場でこう答えた。『近い将来』とは来年なのか10年後なのか、それぞれが勝手に理解すれば良い。わざと言わなかったが隠れた条件がある。『猛練習を継続すれば』という条件である。私は今までもそうしてきたし、プロとして当たり前の姿である。記者からの質問が新日本クラブの自己破産に移った。私の立場としてコメントするにはこの言葉以外には見つからない。
「日本の誇れるゴルフコースであることは世界が認めています」
コースの運命は関係者に握られていて、私にはどうすることもできない。その時に思い出した。
「大変困っている。竜君の力を借りたい」
マスターズが終わった。

 4月、日本ツアーの開幕戦である。私のスケジュールに照らし合わせれば1月から始まったアメリカツアーから間髪入れずに日本で試合を行うことになるのであるが、日本のゴルフファンにとってみれば4ヶ月振りのトーナメントということになる。日本のプロゴルファーにとってもこれは同じで、皆首を長くして待っていたもの、それが開幕戦である。
 ツアーは4日間競技で、木曜・金曜が予選で土曜・日曜に決勝が行われる。そして、それとは別に主催者が水曜日にプロアマ戦を組むのが通例となっていて、主力の選手は参加が義務づけられている。今回の私の場合の様に、米国で日曜日までプレーすれば、月曜日の飛行機に乗り火曜日に日本に着くことになり、準備の関係でプロアマ前日の火曜日にコース入りが出来ないことがある。その場合、止むを得ずプロアマを欠場することになるが、試合を提供してくれている主催者には申し訳なく思うところで、その分本戦で活躍してトーナメントを盛り上げようという強い気持ちも湧いてくる。

 私はこの開幕戦、東建ホームメイトカップが大好きで、プロ転向後毎年出場している。マスターズの翌週ということで、体力的にもきつい(私の場合、1月から米国ツアーにフル参戦して、マスターズが終わり一息つきたい)くらいに疲れも出ている。

 何故そうまでして出場するのか?コースが好きというのが一番の理由だろう。このトーナメントの主催者は大会に合わせてコースを花で飾ってくれる。そこに1万人のギャラリーが入れば、これぞプロゴルファー冥利に尽きるというもの。他のコースであれば1週間前のオーガスタナショナルとのコースのギャップを感じてしまうところであるが、東建多度名古屋のこの時期にはオーガスタナショナルに劣らない華がある。

 開幕戦の初日を3アンダーのスコアで終えた。順位は6位。まあまあのスタートと言える。ホールアウト後の取材を終えて練習場に行こうとするところに父がいた。
「疲れもあるようだから、先に飯にしよう」
その日の修正は早いうちに練習場でやった方がいいと常に言っている父が『先に飯にしよう』と言った。それ程私が疲れているように見えたのか?いずれにしても疲れているのは事実であった。時差もあり歩いていても足が地についていない感じだった。それと、練習に気が進まない理由がもう一つあった。練習場そのものが米国と違いすぎる。米国のドライビングレンジは、350y以上の距離があり、そこまで飛ばせる選手は数える程しかいない。私などは290yで球が落下して転がってやっと300y程度。更にそのエリアにコースと同じグリーンがいくつもあってピンが立っている。バンカーショット、アプローチショットの練習も本コースさながらの環境で行える。日本のゴルフ場の練習環境は米国のそれに比べてお粗末と言わざるを得ない。練習しか上達への道がないのに練習しないのが日本のゴルファーなのか。それとも、コース側の事情で金の得られないところに金はかけられないのか。そんな事を考えながら父に付いてクラブハウスに入った。父はレストランとは別の方向に曲がって一番奥の部屋にノックをして入った。もちろん私も続いて入った。

 部屋の中には、初老の男がこちらに背を向けて立っていた。窓越しに外の景色(1番ホール)を眺めているようであった。顔を見なくてもすぐにわかった。奈良ゴルフクラブ理事長 三田伸介、少し白髪が増えたな、と思った。
 数秒の間を置いて父が言った。
「理事長、竜を連れてきました」
その言葉で三田理事長はようやく私の方を振り向いた。
「マスターズの12位は“おめでとう”と言っていいのかな」
と言いながら右手を差し出したので握手をした。その手に力が感じられなかった。
「私としては、喜ぶべき結果となったと思っています」
 飯を食べる為にここに来たのではないことは既に理解していたが、その後すぐに三田理事長から聞いた話しは、信じがたいものであった。

「私が力になれるとは到底思えません」
それが私の三田理事長に対するその日の返事となって理事長は帰っていった。結局、練習はしなかった。練習をする気になれない理由がまた一つ増えた格好となり、そのうちに日が暮れはじめ、西の空が赤く染まりはじめた。

 夕食を終えて皆がそれぞれの部屋に散っていった。私は、夕食で何を食べたのかも記憶にない程、三田理事長の話しを思い出していた。そして、今一人になると、まさに今私に話しかける様に理事長の言葉を思い出すことになった。

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